2021年1月5日火曜日

ムスカリン作動薬シリーズが返還されました

みなさん明けましておめでとうございます。
IR&コーポレートストラテジー部長の野村です。

 

本日リリースの通り、2016年にアラガン社(現アッヴィ社)に導出していたムスカリン作動薬シリーズ(以下、Mシリーズ*)の権利が返還されました。本来は昨年内に何らかの方向を発表したかったのですが、年をまたいでしまって恐縮です。アラガン社はアッヴィ社に買収された後の戦略変更により、他社にもいくつもの開発品を返還しており(例:EditasAssemblyなど)、今回のMシリーズの返還もこの一環とみられます。一般的には、大手製薬に導出した後に開発が塩漬けになるケースもある中、Mシリーズが返還され、再び我々の手で開発・導出できることを一同喜んでいます。返還と聞いて驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、このような大手の戦略変更は比較的よくあることで、我々もこれまで返還された複数の開発品をその後、他社に再導出してきました(参考/CGRP拮抗薬やA2a拮抗薬)。Mシリーズも今後、適切なパートナーに再導出する予定です。

 

Mシリーズに関連する過去のニュースを以下に整理します。尚、我々はこれまでに、アラガン社から契約一時金や研究開発支援金として合計約195百万ドルを受領していますが、これらを返却する必要はありません。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------Mシリーズの開発経緯)--------------------------------------------------------------------------------------------

20164月(参考)  アラガン社に一時金125百万ドル、総額マイルストン3,165百万ドル、研究開発支援金50百万ドル(その後、55百万ドルに増額)で導出
20179月(参考)  HTL16878M4作動薬)がPhase1試験を開始し、15百万ドルのマイルストンをアラガン社から受領
20189月(参考)  HTL18318M1作動薬)にサルの試験での毒性(希少な腫瘍)が見られたため、進行中のPhase1試験を中断
20196月(参考)  アッヴィ社がアラガン社の買収を発表
20205月(参考)  アッヴィ社によるアラガン社の買収が完了
20211月(参考)  アッヴィ社の戦略変更の結果、全ての権利が我々に返還

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*Mシリーズ・・・ムスカリンM1受容体作動薬(HTL18318HTL9936)、ムスカリンM4受容体作動薬(HTL16878)、ムスカリンM1/M4受容体作動薬(開発コード未公表)やそのバックアップ化合物の総称。アルツハイマー病や統合失調症の治療を目的として、これまで開発を進めている。現在のMシリーズの開発品は本日発表のプレゼンテーション資料P6を参照。

 

4年前にアラガン社に導出して以降のMシリーズの開発進捗は、本日発表のプレゼンテーション資料を参照いただきたいのですが、この4年間に行ったPhase1試験の結果はいずれも概ね我々の予想に沿ったものでした。また、アラガン社からの多くの支援のおかげで、複数の次世代のバックアップ化合物も新たに前臨床試験・前臨床試験準備に進めることができました(上記プレゼンテーション資料のP6参照)。現時点で、ターゲットごとの開発スケジュールは以下の通りになります。勿論、これらの開発と並行して、パートナー候補企業との話し合いを進めていく予定です。

 

M1作動薬 - HTL18318の臨床試験(参考)からは安全性に問題は無く有効性が示唆されましたが、今回の返還に伴い、189月に起きたサルでの毒性(参考)のさらなる原因究明を自社で進める予定です。また、これと並行して前臨床準備段階にあるバックアップ化合物の開発も進め、規制当局の意見も仰ぎながら、最終的にHTL18318とバックアップ化合物のどちらを優先してさらに開発を進めるかを2021年内に決定する予定です。

 

M4作動薬 - HTL16878の臨床試験からは、安全性と有効性が示唆されました。さらに、M4作動薬が統合失調症の治療薬として有望な可能性がKarXTKaruna社)や CVL -231cerevel社)の開発動向から近年より鮮明になってきています()。統合失調症は我々がアラガン社への導出以前に、M4作動薬の適応症として考えていた疾患でもあり、今後、M4作動薬は統合失調症を優先してPhase2試験を目指します。開発計画の詳細は2021年後半に開示予定です。

 

以下、Mシリーズについて解説させていただきます。かなり詳細かつ大部になりますが、もしもご興味あればご覧いただければと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いします!



--------------------------------------------------------------------------------------------Mシリーズの詳細)--------------------------------------------------------------------------------------------

    そもそもムスカリン受容体って何?

私たちの体では、視覚・聴覚・触覚といった感覚、空腹・満腹・尿意といった生理的欲求、血圧・成長(細胞分裂)など無意識での体の調整、我々の思考そのもの、といった多くのことを神経細胞がコントロールしています。この機能を維持するには、ある細胞が持つ情報(シグナル)を、別の細胞に正しく伝えることが必要ですが、この時に細胞間の情報伝達に使われるのが神経伝達物質です。具体的には、ある細胞が神経伝達物質を放出し、別の細胞の受容体(センサー)がその神経伝達物質を検出することで、情報が受け渡されます。神経伝達物質はアドレナリン、ドパミン、成長ホルモンなど、約200種類が知られていますが、中でも有名なものの1つがアセチルコリンで、この発見者(ヘンリー・ハレット・デールとオットー・レーヴィ)は1936年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。このアセチルコリンに対応する受容体がムスカリン受容体(M1~M55つのサブタイプ)とニコチン受容体(NMNN2つのサブタイプ)になり、合計7タイプがこれまで知られています。

 

    なんでアルツハイマー型認知症にムスカリン受容体M1作動薬が効くかもしれないのか?

アルツハイマー型認知症の患者様は世界中で約5,000万人いると言われていますが、実はFDA(米国食品医薬品局)に承認された薬はこれまでにドネペジル(1996年)、リバスチグミン(2000年)、ガランタミン(2001年)、メマンチン(2003年)の4つしかなく、これらは症候改善薬(いわゆる対症療法:Symptomatic drug)と呼ばれる約20年前に発売された古い薬です。

当然、製薬企業はそれ以降も多くの新薬候補の開発を試みており、特により治癒に近い疾患修飾薬(進行を遅らせる薬:Disease-modifying drug)の開発に重点を置いてきました。ただ、そもそもアルツハイマー型認知症の発症メカニズム自体が未だ明確でない中、残念ながら過去10年間でみても有望視された約200の開発品が失敗しており(参考)、患者様のニーズがこれだけ大きいにも関わらず、20年前からFDAが承認した新薬は出てきていません。

一方、症候改善薬の開発も続けられてはいました。これは既存の症状改善薬ではまだ効果が不十分で、また仮に疾患修飾薬が開発されても、症候改善薬も並行して使えると考えられているためです。症候改善薬では、既に承認された上記の4製品中3製品が「アセチルコリンエステラーゼ阻害薬(以下、AchE阻害薬)」という種類です。AchE阻害薬は、アルツハイマー型認知症の患者様で減っているアセチルコリン(神経伝達物質:①を参照)を壊す酵素であるAchEを阻害し、脳内のアセチルコリン量を減らさない治療です。

ここからさらに一歩踏み込み、脳内のアセチルコチリン量を減らさないのではなく増やしてしまおうというのが、次世代の症候改善薬開発の方向の一つです。ただ、アセチルコリンは全身で様々な機能を担っていますので、副作用が大きすぎてそのまま投与することはできません。そのため、7種類のアセチルコリン受容体の中でも、脳内でアセチルコリンに対応する受容体であるM1受容体のみに作用する人工的なアセチルコリン(M1作動薬)を作ることが、次世代型の症候改善薬につながると我々は考えていますし、また、これは業界内でも比較的一般的な考え方になります(参考)。

ただ、M1作動薬も数十の開発品が既に開発に挑戦し、失敗してきました。最も有名な開発品はイーライリリー社が開発していたキサノメリン(M1/M4作動薬)という開発品で、343名を対象としたプラセボ対照二重盲検Phase2試験で統計優位をもって有効性を示しましたが()、消化器系の副作用によって開発が中止されました。この副作用は、キサノメリンが消化管にあるM2M3といった他のムスカリン受容体に作用してしまった(選択性が低かった)ことが原因と考えられています。ムスカリン受容体はM1~M55つのサブタイプの構造が似ており、これを正確に見分ける薬を作るのは大変難しいのです。

当社のStaR技術/SBDDはこのように見分けにくいターゲットを精密に分析し、僅かな受容体の違いを見極める技術です。我々の選択的ムスカリンM1作動薬(HTL9936HTL18318)はキサノメリンよりもはるかに特定の受容体への選択性を高めており、特にアルツハイマー型認知症に関連が深いと考えられるM1受容体をターゲットとして開発を進めてきました。このようなメカニズムの明確さが、アラガン社が我々と提携に至った理由だと考えています。前述の通り、我々は今後もバックアップ化合物を含め、引き続きM1作動薬の開発を進めていく予定です。

 

    なんで統合失調症にムスカリン受容体M4作動薬が効くかもしれないのか?

一方、統合失調症も患者様が世界中で約2,000万人おり、医薬品の市場調査会社のEvaluate社によると市場規模は現在の約1兆円から2026年には約1.4兆円へと拡大すると予想されている、患者様のニーズの大きな疾患です。こちらはアルツハイマー型認知症と比べると比較的コンスタントに新薬が発売されていますが、多くは脳内のドパミンD2受容体とセロトニン5-HT受容体をターゲットとしたもので、新たな作用メカニズムの治療薬は数十年に亘って誕生していません。既存薬では十分に効果が得られない患者様もおり(これは医薬品では一般的な問題ですが)、また、副作用の問題などもあることから、新たな作用メカニズムの医薬品の誕生が望まれています。

そのような中で、ムスカリンM1あるいはM4容体作動薬は、脳内で統合失調症に関連が深いとされるドパミンの合成、放出、シグナル伝達に関わるとされており、比較的早くから統合失調症の治療薬候補となるのではないかと期待されていました。②で登場したキサノメリン(M1/M4作動薬)は実は統合失調症をターゲットにした開発も行っており、こちらは20名と患者数は少ないものの、やはりプラセボ対照二重盲検試験で有効性を示しましたが(参考)、前述した選択性の低さによる副作用の問題が顕在化し、それ以上は開発されませんでした。

統合失調症に対するムスカリン作動薬の可能性が直近で再注目されるようになったのは、201911月にKaruna Therapeutics社のKarXTが統合失調症に対するPhase2試験に成功したことが大きく影響しています参考)。このニュースを受け、Karuna社の株価は17ドルから85ドルへと約5倍に急伸し、直近では時価総額約2,800億円のバイオベンチャーへと成長しています。Karuna社はほぼ統合失調症に対するKarXTの開発に集中していますので(参考)、この開発品への高い期待が窺えます。

このような背景を踏まえ、我々はより臨床的な効果を示しやすいと思われる統合失調症に向けて、HTL16878の開発を優先して進める方針です。現在、統合失調症を対象としたムスカリン作動薬の開発では、前述のKarXT Phase3段階にある他には、Phase1段階に我々のHTL16878cerevel社のCVL -231があるのみですので、競争は激しくなく、HTL16878は十分なポテンシャルを持っていると考えています。

また、実は先行するKarXTは、何度も登場しているキサノメリン(M1/M4作動薬)とトロスピウム(脳内移行性の低いムスカリン受容体拮抗薬)の合剤で、キサノメリンが消化管でM2M3といった他のムスカリン受容体に作用することによる副作用を、トロスピウムで抑制するメカニズムになります。しかし、選択性を高めて副作用を減らすHTL16878のアプローチの方がよりシンプルで利点が多いと考えられ、我々のPhase1試験でも競合と比較して副作用が少なくなる可能性も示唆されました(プレゼンテーション資料P12P14)。HTL16878は次の臨床試験に向けた準備を現在進めており、2021年後半にはより詳細な開発計画をお示しさせていただく予定です。

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